「東日本大震災」から15年 ~あの日を忘れない~
東日本大震災の発生から15年が経過しました。犠牲となられたすべての方々に心より哀悼の意を表します。そして、被災された皆様、避難を余儀なくされ長期にわたり故郷を離れる生活を続けておられる皆様に、お見舞い申し上げます。
あの日、テレビから流れた津波の映像と福島第一原発事故の報道による衝撃は、今も私たちの社会に深い爪痕を残しています。
震災当時、私は初めての市議会議員選挙に向けての準備の最中でした。当選後、事務手続きを終えてすぐに向かったのは、高校時代までを過ごした福島県郡山市。2011年5月、県内最大規模の避難所となっていた「ビッグパレットふくしま」に単独で入り、短期間でしたが、子どもたちの学習補助ボランティアに従事しました。
当時、この「ビッグパレットふくしま」には、原発に近い富岡町と川内村が役場機能を移転させており、約3,000人もの方々が身を寄せていました。私がそこで目にしたのは、まさに極限状態の光景。避難所の入り口前まで人々が溢れ、硬いコンクリートの上で雑魚寝を余儀なくされていました。仕切りもなく、プライバシーが皆無の空間。異なる自治体から集まった子どもたちの間で絶えない衝突が起こっていました。
「ここは人が生活する場所ではない——」。
全く出口の見えない避難生活に疲弊しきる避難者の姿を目の当たりにし、言葉を失ったことを鮮明に覚えています。
なお、被災地の復興には、これまで復興庁が当たって来ましたが、この3月、その出先機関である岩手と宮城の復興局が、一定の役割を終えたということで廃止されることが報じられました。しかしながら、福島復興局については、福島原発の廃炉が完了していないことや、県内にはまだ帰宅困難区域があることから存続するとのこと。復興への道のりはこれからも続きます。
先日、政府より「防災庁」がこの秋に設置されることが示されました。私たちは阪神・淡路大震災、東日本大震災、そして能登半島地震と繰り返される震災から、甚大な犠牲のもとに多くの教訓を得てきました。これからの防災・減災には、インフラ整備などの「ハード面」や避難訓練、防災教育など「ソフト面」に加え、人口減少といった社会の変化を見据えた「地域社会のあり方」を考える視点が欠かせません。今後は時代の変化に合わせて防災計画を常にアップデートし続ける力が求められます。自然災害そのものを防ぐことはできませんが、過去の経験を学び、生かすことで、被害を最小限に減らすことはできるはずです。
私は防災士資格も得、議会でもさまざまな課題を取り上げてきました。これからも災害によって尊い命が失われることのない社会を実現するために、力を尽くして参ります。

